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電脳コイル規格書 このエントリーをはてなブックマークに追加

著者 xanxys 初版 2011/8/20

まえがき

本文書は、『電脳コイル coil a circle of children』と 『電脳コイル企画書』の二作品から著者が想像した作中世界の様子を主に技術的な観点から紹介するものである。 作品の補完よりはむしろ現実への適用を志向して書かれているので、作品と矛盾の生じる点や主張の偏りが含まれることを 留意して頂きたい。もちろん規格書ではない。 著者と同じく夢を抱いた人へ、本文書が何らかのインスピレーションを与えられれば幸いである。

構成

壱章と弐章のはじめで、著者が想定している作品世界を簡潔にまとめてある。 弐章の後半はどちらかというと雑多なトピックの集合体で、より読みやすい文章でかいてある。 が、かなりの部分を前半に依存している。 よって著者のように忍耐弱い読者は交互に読み比べることをお薦めする。

記法

作中の用語と現実の用語の混同を防ぐため、本文全体に渡って以下の例に示す色付けを用いた。
  • 作中の発言: [[よ、よんひゃくまんえん!?]]
  • 作中の用語: [電脳物質]
  • 著者が導入した用語: {素粒子}

壱章 デバイス

文化の変容による認識の変化も重要な因子であるが、端的に現在との違いを示すのは作中に存在するハードウェアである。 この章では、まずハードウェアの形態を列挙した上で、それらがどう使用されているか、そして個別の技術の順に見ていく。

形態

まず存在がほぼ確実なのが以下のデバイスである。
  • [電脳眼鏡]
  • [リストバンド]: 筋電から手の位置情報を取得するデバイス
  • [ウェアラブル]: 布に織り込まれた計算機
  • 自動車組み込み端末: [電脳ナビへ]の接続
  • 建造物組み込み端末: 電力系統との接続と[ホームドメイン]の維持、環境情報の取得
その他に、上記デバイスの製造コストの低さを考えると、工業製品全てにRFIDが付いていたり、 家具に感圧センサーが貼りつけてあったりしても何ら不思議ではない。また、これらは全て統一されたプロトコル によってネットワークに接続しているようである。

利用状況

少なくとも[大黒市]内では、40歳代までもしくは就労している人間はほぼすべて[電脳眼鏡]を着用している。 その結果、使用率が低いのは高齢者と専業主婦ということになる。また[眼鏡]を扱った若者向け電子書籍が発行されていることから、日本の十代の所持率はほぼ100%、 PCの需要を吸収できることから、その他の先進国でも同様の普及率が見込まれるだろう。 普及の過程について考えるには、磯氏によりオリジナルの設定が作られたのが2000年であり、 作中の世界が2026年であることを考慮する必要がある。端的にはソーシャルネットワーキングサービス(以下SNS)が台頭しなかった時系列を考えればよいだろう。
  • 2000-:
    情報機器はドットコムバブル崩壊後、低調な伸び / 研究レベルで[電脳空間]の基礎理論が検討される
  • 2010-:
    [電脳空間]のプロトコルが策定され、実世界志向のデバイスが徐々に増える / [眼鏡]は性能の低さにより一般には普及せず
  • 2015-:
    [コイルス]が量子力学的回路により[眼鏡]の小型化に成功し商業的ある程度成功する。 副次的な現象である[電脳コイル現象]、[イマーゴ]の研究が行われる / 最初の電脳空間法が成立
  • 2020-:
    [メガマス]が[コイルス]を特許目当てに買収し、世界シェア一位となる / 電脳局設立
  • 2025-:
    [メガマス]が日本市場をほぼ独占し、多くの分野で強い権限を持つに至る
例えばこのようなプロセスが考えられるであろう。[メガマス]の規模に関しては、 [猫目宗助]の発言[[あの阿婆擦れを利用して、世界中のイマーゴのガキどもを意識不明にしてやるんだ]]などから窺える。

個別技術

作品に忠実に読み取ると、通信と計算については一人分のウェアラブルデバイス群で現在の千倍から一万倍の性能でアーキテクチャは類似のものが (仮想的に)提供されていると言えるが、[空間]の章で述べるように著者はよりドラスティックな変化を期待する。 生体情報に関しては[電脳体]の節で考察する。 興味深いのは、[電脳眼鏡]の透明な部分の実現方法である。一見すると透明な自発光ディスプレイがあれば 充分に思えるが、その距離では均一な発光は網膜に結像しないのである。長時間の使用から窺える快適性や耐久性から考えると、 マイクロレンズアレイと波長選択制の高いフィルタで、受光・発光・通信機能を持つ基板を挟み込んだものが想定できるだろう。

弐章 空間

作中ではあまりに自然に[空間]が描かれているため、空気のように存在を忘れてしまいそうである。 「自然に見える」というのは実際の空間と「似たような」振る舞いをするということであるが、一方で[電脳空間]特有の 現象があり、それが作品のテーマにもなっている。そこで、どのようなものが我々に空間として認識されるのか、 その抽象的構造を議論し、ひとつの実装のモデルを提示する。その後、作中のいくつかの現象について解釈を行っていく。

空間の性質と実装

自然な空間の非常に重要な性質として、巨視的な物理量の連続性と作用の局所性があげられるだろう。 連続・局所的というのは時間と空間に対してのことであるが、果たして時間や空間とは何なのか? また巨視的の意味するところは何なのか?この二点を考えることで、自然な実装が見えてくるだろう。 巨視的な量というのはすなわちある空間領域内の量の積分である。そして、我々は多くの量が 離散的で種別内で区別を持たない素粒子から成りなっていることも知っている。 同種の素粒子を互いに区別できないというのは、同じ情報を互いに区別できないというのに類似している。 一方時空に関して、我々はそれを「外側から」見ることはできないので、何らかの構造を適当に仮定して それに基づいて計測を行っていくしか無いのである。その結果、どうやら素粒子の位置というのは 曖昧なもので、確率分布でしか表せないようであるということもわかっている。 これらから得られるナイーブな実装は、離散的な座標を代表する有限個の基底が張るベクトル空間を 離散的な値からなる部分集合で近似することであって、これは現在のマルチメディアの表現そのものである。 しかしもともと曖昧なものを表すのに、なぜきっちりした座標など定める必要があるのか。 これが今の情報機器の相互運用性を阻害する、諸悪の根源と言ってもいいだろう。 もっと自然な実装があるはずであり、作中ではそれが早い段階で定式化されたのだと考えたい。 つまり、せいぜい数10bitの情報が一個の{素粒子}を形成し、それは値と同時に時間と空間の不定形の 小さい領域を代表している。情報の消失が時間の経過を表し、別の情報との相互作用すなわち書き換えが 作用と空間的つながりを表すという見方である。 [空間]を構成するハードウェアは、これらの{素粒子}に関する情報をただやりとりするだけで、 巨視的な[物体]は本質的にコピー不可能なのである。そしてこれらの{素粒子}が意味する量は、 必ずしも物理的である必要はなく、光・力・音などそれ単体で人間が認知できるようなものが選ばれるであろう。 また実際の運用では、土地境界・認証・インターネットへの接続・ハードウェアの操作などは これらと同じレイヤーで処理され、セキュリティの源泉となるだろう。 {素粒子}の仕様が変更されたり追加されると互換性が一部失われるが、組み合わせの それぞれを区別するために[空間のバージョン]が与えられても不思議ではない。

電脳空間における現象の解釈

この節では、作中の様々な現象について解釈を加える。これまでのモデルを基本とするが、 強引に整合性を取らずに、あくまでも別々に解釈を行うことで別の可能性も残すよう配慮した。

重なった空間

[空間]の実装ではバージョン間のマイグレーションについても何らかの処理が行われるはずで、 通常は[空間]のバージョンは徐々に新しくなっていくと考えてもよいだろう。 これはどのような処理だろうか?そもそも、いくらセンサーがたくさんあるとはいえ、 全空間の情報をキャプチャすることは不可能なので、常に情報の外挿とマージが行われているはずである。 また、不要なデータを消去するため、領域はその大きさに従って、小さいものは素早く、大きい物はゆっくり、 自然消滅するとも考えられるだろう。これらの四作用すなわち生成・外挿・併合・消滅により、 通常は[空間]はひとつの巨大な領域の部分部分に絶えずデータが併合され、更新されるような定常状態をとると思われる。 しかし何らかの原因で、取得時間の古い巨大な領域が孤立してしまうこともあるだろう。 それが[古い空間]や[あっち]であり、特殊な手続きによって部分的に新しい[空間]と連結され、 アクセス可能になるのであると考えられる。

電脳物質の力学

[電脳物質]の運動を力学的に見てみよう。 単独の[物体]の運動を見てみると、自然落下するものとそうでないものがある。 例えば[鉄壁]や画面・キーボードなどのUI、[キュウちゃん]や[2.0]は常に浮いていて、慣性もあるようだが減衰が大きくすぐに停止する。 一方その他のものはある程度ゆっくりと落下するようである。このあたりの振る舞いを見ると、慣性質量と重力質量は別々に設定できる、 というよりむしろ重力は地球の重力場だけ考えていると思われるので、局所性の例外として扱われていると考えるのが妥当だろう。 次は接触している二物体間の作用を考えてみよう。これには二物体、物体と[物体]、二[物体]の三通りがある。 最初の組み合わせは[電脳空間]と関わらず起き、これを模倣するのが[電脳空間]の実装上の制約の一つになるだろう。 二番目に関して、どうやら実際の物体は適当なヒューリスティックによって「移動物」と「静止物」の分類が行われるようである。 つまり、実物に対応する[電脳物質]の{プロキシ}が作られるということだろう。よってここでは三番目だけ考えれば良い。 さて実際の二物体間ではおそらく電磁相互作用に基づいて、接触面の法線と並行な反発力と垂直な摩擦力が働く。 そして反発力は物体が(数pmのオーダで)接近するにつれ急速に増大するため、よく見かける物体はめり込みを起こさない。 しかしこれは剛体というような実体が存在することを意味しない。 さて、[電脳物質]がどのように表現されていようと、その「密度」はかなり薄くならざるを得ない。 つまり、めり込みやすり抜けをある程度許容する必要があるということである。 とくに実在する物体から作られる{プロキシ}は力の影響を諸に受けると意味を失うので、必ずめり込みが発生しうる。 作用と反作用に関して、その関係を明示しないと反作用が発生しないような実装も考えられるが、 それで得をする[電脳物質]は少ないだろう。 さて、勘のいい読者はもう気づいているかもしれないが、速度というのは相対的なものである。 速度の「減衰」というのは、決して絶対速度のようなものを想定しているのではなく、 周辺の空気との相対速度が0に近づくということである。よって局所性の原則から、 空気に対応する表現が必要ということになる。また、落下の向きを表すのにも使える可能性はある。

複雑な物体との相互作用

作中のデバイスは大変優秀であるが、実世界にはそれを超えて複雑な物体が数多く存在する。 特殊な光学特性を示しなおかつ形状も複雑に変化する流体、 そしてフラクタルな幾何構造を持ち剛体でもない植物などは、その典型例だろう。 これらについては完全な{プロキシ}の構成はできそうにもないが、いったいどのように処理されているのだろうか。 まず光学的な複雑さについて、屈折や反射を引き起こす液体や鏡のようなもの、 さらに[空間]に接続されていないディスプレイなどは問題を起こしやすそうである。 これらについては積極的に建造物のデータを活用したり、あるいは手動操作による除外などが必要かもしれない。 次に形状の複雑さについて、これは実はそれほど問題でないかもしれない。というのも、 [マトン]はどれもずいぶん知性を持って危険を回避しているようだし、 人間が[電脳物質]をわざわざ不安定な場所に置くこともないと思われるからである。 いずれのケースでも重要なのは、実物とあまりにも大きさの異なる{プロキシ}を作ってしまわないことである。 鏡の向こうの[空間]に[電脳物質]が移動してしまったり、なにか小さくとも変な物体があるときに周囲の[物質]が 一斉に破壊されたりするようなケースを排除するのは実用上重要だろう。

WIMP(window icon mouse pointer)なUIに関して

作中の人物は頻繁に浮かんでいる画面とキーボードを操作しているが、 中には現在使われている文書作成ソフトやブラウザのようなものも見られる。 このような「古い」ものが登場するのには、もちろん制作上の都合やわかりやすさという理由もあるだろうが、 作中世界での理由を考えられないだろうか。 [眼鏡]が普及する前は今我々が使っているような情報機器が使われていたのだろう。 そして[眼鏡]や[空間]の開発は、少なくとも初期にはそれらの機器を使って行われただろう。 [空間]は、今風の言い方では「ガジェットの仮想化」を可能にする。 すると真っ先に用意される[電脳ガジェット]は、PCを仮想化したものではないだろうか? そうすることでソフトウェア資産の引継ぎも可能となる。あるいは、初期の[眼鏡]は性能の問題から、 矩形の画面の表示に関して最適化を行っていて、その名残でしばらくの間は画面を多用するアプリケーションが量産されたのかもしれない。 これは現在でも、システム管理にGUIではなくCUIがよく使われていることと類似した構造と言える。 とはいえ、今我々が使っているようなUIが、[空間]の存在下でさえ最も洗練されているということはないと願いたいものである。

サーチマトンの役割

[サーチマトン]が使用される目的は主に[空間]の正常化とそれに託けた陰謀である。 前者については子供たちと繰り広げる攻防から特定の[電脳物質]の排除に目が行きがちであるが、 ここでは[空間]のバージョンアップに注目してみたい。 通常は何もせずとも[空間]は自然に更新されると考えられるが、物語の舞台である[大黒市]では、 巨大な隠れた[空間]が形成されている。そして、その一部はある道順によりアクセス可能となるようである。 まずはこの原理を考えてみよう。 人通りの多い開けた場所では常に情報は更新される。しかし奥まった場所に行くにつれ、 アクセスは散発的になるので領域が分離する可能性が増す。[電脳物質]の移動とは、 周囲の環境から何らかの判断([マトン]では自律的な処理、人間の場合ハードウェアを介したフィードバック)を 行い環境に作用することで微小な変位を積み上げて行われると考えられる。つまり領域内を線を描いて辿っていく。 このとき、領域に分岐の生じてる場所で「誤って」新しい[空間]の側でなく、時間的に外挿された古い[空間]を辿ってしまう 場合があるだろう。これが経路依存性のもとである。 さて、経路依存性をふまえると、[原川玉子]の発言[[キュウちゃんの捜索範囲を広げる]]の意味は、 単に探索する広さの拡大ではなく、幅優先探索の深さを上げる、と取れる。 これは[サッチー]の[フォーマット光線]はあくまでも現在居る領域に限って作用するからであると考えられる。 一方、[[緊急性の高い特別措置]]で[[一般の個人データも保護されない]]、また[暗号]の利用者に身体的影響を与える [2.0]の[フォーマット光線]は、ハードウェアにより近い層で作用するようなものと考えられる。

メタバグの正体

[メタバグ]はいくつかの点でおもしろい。その見た目と希少性そして[メタタグ]の原料であるという三点である。 結論から言ってしまうと、これは[コイルス]が用意した[空間]のバックドアへのアクセスキーと 音声・視覚などの要素がまとまったものであると考えられる。 なぜ単なるデータの集合体がそのような価値を持ちうるのか? 現在ではデジタル著作権管理(以下DRM)、一般化すると開発元がユーザの行動を契約内に抑えこむ技術的な手段、が考えやすいであろう。 2011年に於いて、新しく発表される情報機器で真っ先に行われるのが、開発元に近い権限を得ることである。 しかし、今ですら主な脆弱性はかなり上位層のソフトウェアのバグによるもので、 いわゆるmodchipのようにプリント基板に直接手を加えて信号を操作するは大変難しい状況である。 とはいえ、現在の情報機器は少なくとも電源のon/offやケーブルの抜き差しぐらいはできるものである。 また無線LANを通じて流れる全てのデータを操作することが可能である。 しかし、作中の世界では「計算機」がどこにあるかも分からないぐらいに偏在しており、至るところで「通信」が 発生しているのである。このような状況ではデータの完全な制御は誰にも出来ず(それこそがシステムが分散的である証である)、 最も低いレイヤーの操作は特殊なデータ配列に働く非公開の作用を通じた間接的なものとなるだろう。 [イマーゴ]はハードウェアにより発生しているもので、その研究には低いレイヤーへの 簡便なアクセス手段が必要とされたであろう。[ヌル・キャリア]はそれを用いてユーザの脳に作用するアプリケーションの 例である。もちろんこれらは厳重に機密とされ、[メガマス]は作中の時間でもそれを保持していたであろうが、 制御を失った[古い空間]の発覚をおそれ、地道に[フォーマット]を重ねていく方法をとったのであろう。 こうして新たに生み出されることもなく積極的に消去されることもなく放置されたアプリケーションが、 内在するバグなどにより不安定化し分解した残骸が[メタバグ]である、と言えるのではないか。 これらを仮定すると、見た目に関してはシンプルな説明が可能である。つまり、あのような形態以外のものは [空間]の構造により消去されるというものである。[電脳物質]の残骸は至るところで発生するので、 適切な特性、例えば地面で静止し、適度な大きさを持ち、見た目を持ち、他の[電脳物質]と干渉可能、 などを全て備えていないデータは消去されるような実装になっていると考えられる。 これはまるで岩が風化し石、そして砂になっていくようである。 最後に[メタタグ]に関して、これはどうやら[暗号]と共通の原理で動作するようである。 これを考えると、[猫目宗介]や[天沢勇子]らは機密情報であるアクセスキーを作る方法を知っており、 [小此木早苗]も記憶を失う前はそれを知っていた可能性がある。 [キラバグ]はより機密度が高く、その作成方法は作中の人物は誰も把握していなかったアクセスキーということに なるだろう。

暗号式の意味

暗号が効力を持つためにはなにか特殊な情報が必要というのが著者の解釈だが、 暗号式つまり暗号の表現形式については、独立に考えることができるだろう。 まず、テレビのコメンテーターの[[子供たちの間では暗号というおまじないが流行っている]]という発言は、 暗号式が正攻法の「プログラミング」方法ではないことを意味する。これは作品のちょっと古い世界観、 すなわち「小学生プログラマー」のようなものは存在しない、とも合致する。 しかし、かなり[メガマス]内部の情報を持っているはずの[猫目宗介]が未だに暗号を使っていること、 [サッチー]を[メタタグ]で改造可能であることなどからは、暗号式が何らかの不具合を使って偶然動くようなものでなく、 かなり本質を突いた表現形式であることが窺える。 さて、そもそも数々の[電脳物質]はどのように生み出されるのだろうか? [空間]の性質を考えると、何らかの巨視的な形式で情報を表現している[物質]から別の[物質]への変換を行う、 アセンブラのようなものが必要になるだろう。この動作は計算機で言うアセンブラというよりも、 むしろナノテクノロジーが目標としているような分子アセンブラーに近い。 つまり、データからデータへ「上から」変換をするのではなく、 データと同じレイヤーで、不要な相互干渉を避けつつ動作する必要がある。 [物質]の転送もこれにより行われる必要があるだろう。

遠距離通信

[空間]が高度に分散的なシステムならば、通信のほとんどは局所的なもので今のインターネットのように 遠隔地とできるだけ短い遅延時間で情報を送受信するようなケースは、絶対量では圧倒的に多いとしても 割合ではかなり小さいであろう。[眼鏡電話]やwebの閲覧は明らかな例であるが、他の使用形態を考えてみたい。 人間や[ペットマトン]、[サーチマトン]の[電脳体]が「自己修復」を行っている箇所が散見されるが、 いずれも個人や法人に対する課金と密接な関係があるという共通点を持つ。 人間は生体認証により法的な個人と結び付けられているようであり、 ここには現在の通信事業者のようにリモートにアクセス可能なデータベースが存在するだろう。 また、[ペットマトン]の購入は「死亡」時の[メモリアル]送付までを含む長期契約であるように見え、 アップグレードの提供なども行われるはずである。これらは現在のダウンロード可能なコンテンツの契約形態と類似している。

電脳体

さて[電脳体]とは何だろうか。現実の物体は何であれ{プロキシ}が作られるという解釈であったが、 人間、特に[眼鏡]ユーザーに関しては非常に特殊な処理が必要だろう。まずはそこから考えてみよう。 [眼鏡]は対応する所有者というのがあるものの、他人の[眼鏡]でも[端末機能]なら使えるらしい。 また理科室で教員用[眼鏡]を使っている描写があるが、これらから何が言えるだろうか。 まず、生体情報は[眼鏡]会社側にあり認証はサーバサイドで行われると言えるだろう。 また[眼鏡]単体にも何らかのストレージがあり、 まったく通信ができない場合は[電脳体]に関する情報と自分の周りの僅かな[空間]を維持しているだろう。 すると「ログイン」により電脳体がサーバからダウンロードされ、 「ログアウト」もしくは自動で定期的に同期が行われていると考えられる。 すると「ログイン」と「修理」で必要な通信量は同等ということになるので、 商業的な戦略で後者のみ課金している、後者はアプリケーションの再インストールなどが必要でそこに課金している、 の二つの事実が想像できる。 さて本題の、[電脳体]に付随する情報は何であるか、という点に移る。 これはレイヤーが高いものから順に以下の三つが考えられる。
  • 身体の領域に対応する[空間]あるいは電脳物質
  • 身体に関する情報
  • 認証に関するデータ・ファームウェア
一番目と三番目は比較的明らかだと思われるので、二番目について説明する。 人間の行いうる動作にはバリエーションがあるので、{プロキシ}と実際の身体との乖離は常にあるが、 それをもっとも知覚するのは自分の身体についてである。 そこで自分の身体についての情報は[電脳空間]より低いレイヤーで持っておく必要があり、 これには装着している[ウェアラブル]の状態、骨格の情報、などが含まれるだろう。

オンロードドメインと電脳法

作中での[電脳空間]の影響力の大きさを考えると、主人公の子供たちはかなり好き勝手しているように見える。 ある意味おもしろい状況であるが、それを可能にする社会的背景を考えてみよう。 まず、[電脳空間]が様々な層の人間によって一体どのように捉えられているのか。 例えば[サッチー]について、[大黒市]のみに導入されているという状況証拠と、 金沢駅で20代ぐらいの男性が[サッチー]を見て立ち竦んでいる描写がある。 しかし逃げ出したり通報したりパニックになったりはしていないのである。 すると、どこであれ[電脳空間]は結構何でもありな場所として認識されていることが分かる。 それは[空間]のロバストネスから来る安心ということでもあるだろう。 またもしかすると、[サーチマトン]が[大黒市]以外であまり必要とされていないのは、 [古い空間]のような特殊なものがないという理由の他に、 そもそも[オンロードドメイン]などの公共スペースに[電脳物質]が長く存在できないのかもしれない。 [大黒市]は[メガマス]の本社があるので、市の所有する土地やその他公共性の高い場所に[サーバー]を多く配置していて、 そのため沢山の[電脳物質]が存在できるという可能性はあるだろう。 [電脳法]についてはよく分からないが、作中で最終話のメールを除いて警察がまったく現れないところを見ると、 もしかすると[電脳法]は[電脳空間]に限らない情報機器に対するもので、 [空間]に関する多くのことは[メガマス]との契約という枠組みで処理されているのかもしれない。 すると[原川玉子]の[[逮捕してやるーっ]]などはハッタリだということになるが、 そもそも高校生があれほどの時間働いたりできるだろうか。 なぜ大学生、そして成人という設定にしなかったのか悔やまれてならない。 閑話休題。[電脳法]は現行の不正アクセス禁止法などよりは先進的であるが、 [電脳空間]の利用拡大には追いついていない、その結果公共機関は[メガマス]への 整備・管理の委託という間接的な形でしか関与できないと考えるとそれなりに納得が行くかと思う。

電脳コイル現象

さてこの作品のプロットの中心となるのが[イマーゴ]、そして[電脳コイル]である。 これらの現象はかなり都合の良い登場の仕方をするものの、 実際にブレイン・マシン・インターフェースの研究は行われており、 いずれは精神の本質に関する問題は顕在化するだろう。そこで無理やりではあるが著者の解釈を述べておく。 まず、突飛な設定を嫌う著者が最初に思いついた解釈を以下に示す。 [眼鏡]からの意識の「転送」はなく、あくまでも[眼鏡]を着用した状態で脳との相互作用が起きる。 [ヌル・キャリア]による「分離」は[電脳体]を完全に[電脳物質]化し、 [眼鏡]のハードウェアとのリンクを埋め込む。 しかし、[天沢信彦]については治療のためにAIのようなものが用いられたと考えることもできるが、 [小此木宏文]に関してはそれは考えにくいだろう。よってこの解釈は修正を迫られる。 次に考えたのが、心理学的な手法と組み合わせることで被験者の望むものを想像させ、 そこから画像や音声を再構築する方法である。しかし、これで知性を持ったような存在が構築できるというのは極めて考えにくい。 しかし、これらふたつを組み合わせることでとりあえずの整合性を維持できる。 つまり、背景や粗い物体などは(施術者の手を介して)被験者のイメージから構成し、 詳細なイメージについては脳への特殊な刺激により、特定の記憶を想起させる、というものである。 これは、生きている人間間での意識の部分的共有をも意味する。 そうすると、[ミチコさん]やその他[イリーガル]が[イマーゴ]を持たない人間にも目撃されていること、 [イマーゴ]を持つ人相手には会話なども行えること、が説明できる。 とはいえ、[[世界で初めて人間の集合無意識を電脳空間化したんだ]]はより高度な構造を意識しているように思える。 また[イリーガル]が群としてある程度共通の行動をしていることから、 空間と意識の区別が薄くなったような状態が[あっち]では形成されていたのかもしれない。 このように[空間]主体の解釈と意識主体の解釈が可能なこと自体が、これらふたつの本質的な結びつきを示しているだろう。 人工知能は拡張現実と同じく、一度は直球で試みられて失敗し、 単に商業的なバズワードと流行に沿った技術の集積に成り下がってしまった分野なので、 もう一度蘇って欲しいと著者は切に願っている。